新聞を取らなくなった我が家、筆者の反省

読者の皆さんは新聞を取っていますか?
筆者の核家族は自宅で新聞を取るのを2014年からやめました。
2014年11月に新居建築が完成して12月に三河地域への引越しがきっかけでした。
2014年にやめるまで親の名義で朝日新聞を、筆者の名義で中日新聞を取っていました。
1紙に月3000円程度の出費でした。
筆者はそれほど負担は感じてはいなかったのですが筆者の親が新聞を断ってしまいました。
筆者の親は職場に複数の新聞紙がとってあるので電子版もあることだし不要であり無駄を省きたいということなのでしょう。
新聞は電子版でスマホやパソコンで有料で読むこともできます。
便利な時代になったものですね。

しかし筆者は紙媒体の新聞のありがたみを最近感じています。
スマホを使っている姿・モバイルパソコンを使う姿を電車やWi-Fi通信環境の都市のカフェ店などで本当によく見受けるようになりました。
その中には姿勢が猫背になっていたり、度の強いメガネをかけている若い人もいます。
筆者も同じように仕事を通じてスマホやパソコンを便利に使ってマメに文書作成をするようになって、いつのまにか猫背でスマホ、パソコンで眼の疲労・疲れを感じたりなどの状態になっていたりしています。
紙媒体の新聞紙はスマホやパソコンに比べれば光の刺激が少なくて済みます。
筆者は紙媒体の新聞紙のほうが身体に優しく感じられるようになってきたのです。

筆者は専門誌を編集・制作する事務所に手伝いに行っていた時期があります。
その編集室では年寄りのベテランが居て未だに原稿用紙に誌面に掲載する記事・文章を鉛筆やボールペン、万年筆などの筆記用具で書き上げていました。
さらには参考になる情報として取っている新聞を読んで選んだ新聞紙面を切り取ってノートブックに貼り付けて厳選特製参考ネタ帳を作成したりしていました。
かなりのアナログのようですが、編集・制作上、情報に・思考に煮詰まった時、新聞は情報の新たな窓を提供してくれるありがたい存在なのでした。

スマホやパソコンに向き合っているうちに消耗した筆者の身体や眼や脳は「紙媒体」である新聞紙にも魅力を改めて感じるようになりました。新しい実感をもって新聞紙から文章の情報とともに入ってくる感じがします。
決まった限られたサイズの紙面の中ですが人の手で構成され書き上げられた整理された新聞紙面はこれはまた別の良い感触をもたらしてくれます。
地道に眼や脳などの感覚器官を酷使しすぎず、光の刺激が少なくて済む紙媒体の読み物・新聞・本も改めて見直されてきている情報媒体なのではないでしょうか。