東芝ワードプロセッサJW-10

エンジニア森健一氏

「森健一氏は東芝の日本初ワードプロセッサJW-10の開発のリーダーを務めたコンピュータ科学者です。
1962年に東京大学工学部応用物理学科を卒業後東京芝浦電気株式会社(現東芝)に入社しました。
そして東京芝浦電気株式会社の中央研究所(現東芝・総合研究所)で文字認識の研究につとめます。
1967年に郵政省からの委託研究「自動手書き郵便番号読み取り装置」を開発しました。
1971年東京大学より論文「手書文字認識方式の研究」によって工学博士となりました。
その後日本語ワードプロセッサ開発の研究チームを率いて1978年に東芝ワードプロセッサJW-10が商品化されました。」
(「」森健一(エンジニア) Wikipediaより引用)
森健一氏は日本語入力システムであるかな漢字変換システム・ワードプロセッサ開発に貢献しました。

東芝製ワードプロセッサJW-10
「日本語入力方式で現在主流なのは読みとしてかなを何らかの形で入力しておいて、漢字・かな・英字などの変換候補から選択して入力するかな漢字変換システムです。
このシステムは1978年に東芝のワードプロセッサJW-10によって実現されました。」
(「」日本語入力システム、概要 Wikipediaより引用)

「JW-10の開発のきっかけは森健一氏と新聞記者との雑談でした。「欧米の新聞記者に比べて、日本の新聞記者は記事を書くのが遅い」という雑談です。これをきっかけに森健一氏は日本語ワードプロセッサ開発の構想を持ちました。
この開発のリーダーであったエンジニア森健一氏は誰でも入力できる日本語入力システムの開発実現を目標にしていました。そしてそれは日本語入力システム開発のコンセプトでもありました。JW-10によって実現したのは誰でも手書きより速く入力ができるかな漢字変換システムでした。そしてJW-10によるかな漢字変換システムの技術は日本語入力システムの全てに使用されるようになりました。このシステムは東南アジアなどアジア圏の言語の入力システム・ワードプロセッサの開発にも応用されました。
東芝JW-10発売当時価格は630万円。重量220kgでした。」
(「」JW-10 Wikipediaより引用)

東芝はその後1985年に世界初のラップトップパソコンT-1000を発売しています。
東芝はこの上記の間の時期に先駆者的な開発をしています。
筆者は大学文学部の卒業論文はWindows7のノートパソコンで制作しました。
その文章制作にはこの日本語入力システム、かな漢字変換システムの恩恵を受けて論文制作ができたということになるのかと考えられます。